家元が語る 「文化の冒険」

最終更新日2021/9/9

味は憶えて楽しむもの。
赤ちゃんはミルクを飲みます。
なぜなら固形物が食べられないからです。
お喰い初めでも口をつけるわけではないですね。こどもは生きていきながら次第にいろんなものが食べられるようになります。
私は小さい頃生魚が食べられなくてお寿司屋さんに行ってもカッパ巻しか食べられませんでした。
お母さんが食べているコノワタをひと口食べたらまずくて気持ち悪くて「どうしてこんなものを食べるの?」と思いました。今ではお酒のあてに楽しんだりします。
ウニでもイクラでも小さい頃からパクパク食べる子は少ないものです。
じゃあなんでこんなものが美味しくなってくるのかというと、いろんな味を味わっているうちに、だんだんその体験がに慣れてきて他の味も試してみたくなるからなのでしょう。
むかし味わえなかった風味も次第に経験が増すと味わえるようになってきます。
文化はまさにそういうもので、最初のうちは子供番組の歌を見ているのが、思春期は若者向けの音楽を聴くようになったりします。
いろいろなものを味わっているうちに、いろいろな音楽を楽しめますし、踊りも文学も楽しめるようになってきます。
でもたいていは自分が慣れ親しんだ味から離れて冒険をしてみる人は多くありません。
それはとても損です。
今までの歴史に多くの名作が生まれ、まだ知らない感情もほぼ無限にあるのに何も知らないまま死んでいってしまう。
こんな悲しい事があるでしょうか。映画だけでもいろんなジャンルがあります笑そして、いろんなスタイルがあります。
また、映画だけでなく音楽にもいろんなジャンルがあります。
また、何か今までとは違うジャンルを楽しんでみようといきなり歴史から勉強すると結構な確率で挫折します。
1番流行っているものを見る、と言うもう一つの方法です。
県内の観客に1番売れているわけですから受け取りやすい要素があるはずです。とは言えそれでも気にいる場合とそうじゃない場合もあります。
例えば絵画を見てどこから見たらいいか分からず呆然としてしまう、歌舞伎や能を見て眠くなってしまう、ホテル何がいいかわからない。
これらは例えば野球を見に行き、ルールも選手も知らず、今まで応援していたわけでもないのに急に楽しもうとしても無理なことと同じです。
1番のポイントは「退屈する体験も含めて味わう」です。普通は何もかも楽しみたいところなのですが、最初からそう楽しめないと悟って、もう一度見る。
また見る。
また寝てしまう。
それを繰り返してるうちに自分の中である程度、見方がわかってきます。
ちょっと気になること、ちょっと疑問に思うことなどが出てきますのでそしたら初めて調べてみるそれくらいのスタンスで良いのではないでしょうか。
「退屈も味わう」というのは退屈に対してポジティブに捉えると言うことです。
分からない物をとりあえず受け入れる。どこが面白いか探して、それでも面白くないなら疑問点を探してみて、そういった博物学的な物の見方が次第に自分の審美眼を高めていきます。